温泉でぐったり
あたしの勤め先が創立○○周年なんですって。
よくもってるなぁ、いつ傾いてもおかしくないはずなのに。
きっと、あたし以外の皆さんが、一生懸命がんばってくださっているからですね。
よかったよかった。いいところで働けて。ホントにそう思います。感謝。感謝。
そんなわけで、従業員を連れて一泊二日の温泉行だそうです。
行き先は登別温泉の「第一滝本館」。
知ってる人は知っている。知らない人はまったく知らないという、安政五年創業の老舗ホテルなんですよ。
ここね。
あたくしどもは、比較的近くに生息してますから、大概の人が一度くらいは行ったことがある有名な温泉宿です。
泉質の違うおフロがたくさんあって、一泊くらいじゃ十分満喫できないのが悲しいところ。なんでも、元々は大工だった滝本金蔵という方が、開発された温泉で、奥さんの皮膚病を癒すためという、胸が熱くなるような物語もあったようです。
いまどき、土曜日も通常営業している会社なんて絶滅寸前のはずですが、あたしの勤め先は、今でもかたくなにそれを貫いていて、来年あたり天然記念物に指定されるんじゃないかって、もっぱらの噂です。
んでもって、土曜日の業務終了後に、貸し切りバスに乗せられて出発。
日頃の行いの悪い奴が多いせい(あたしじゃありませんよ、絶対)で、天気は最悪です。高速道路は早々と店じまいする猛吹雪の中を、あたしたちを乗せたバスは黙々と走ります。
大丈夫かなぁ、と、不安に思っていたのは、どうやらあたし一人。バスに乗ったとたん、飲めや歌えの大騒ぎです。ガイドさんが必死にしゃべっているのに、だ〜れも聞いてません。一生懸命がんばっていただいてたのですが「こりゃ無理だわ」と諦めたのか、そうそうに座っちゃいました。
ごめんなさいね。節操がなくて…。
わずか30分足らずで、すっかり酒臭い車内。運転手さんも副流煙ならぬ副流酔しそう。気のせいかバスがふらふらしています。
「やだよ、おれ。こんなところでみんなと心中なんて」
怒号罵声嬌声悲鳴が響き渡る車内で、神様仏様アラー様を総動員して、祈り続けること1時間。
「神は偉大なり!」ホントにそう思いました。
午後7時ごろに無事到着。…ほっ。
緊張のせいで体中の筋肉が強張っています。
(みんなの命を救ったのが、あたしだとは気づかない)他の連中は、ユデタコよろしく真っ赤になってフニャフニャ。全身の筋肉が、これでもかっていうくらい緩みきっています。あ〜情けない。
部屋に荷物を置いて宴会場で夕飯です。
社長のありがたいお話が30分、永年勤続表彰が40分、昨年の功労表彰が30分、常務の乾杯の音頭が10分。………。
飯を前にして待つこと2時間弱。あ〜腹減ったぁ、のども乾いたぁ〜。
そんな心とは裏腹に忠犬ハチ公よろしく、きちんと座って拍手拍手。
さすがに正座は崩してますが…。
そんなこんなで、やっと食事です。
愛らしい飼い犬たちは、2時間の間にケダモノに変身していました。無言で貪り食ってます。余興のカラオケもビンゴ大会もそっちのけで…。
腹が満たされれば、温泉です。普通なら。
ここでもまだ酒を飲み続けるヤカラが大勢いました。
そんなにおいしいのかな? お酒。
生まれ落ちてから一度も、お酒がおいしいと思えたことのないあたし。
不思議で不思議でなりません。
普段、うちで飲ませてもらってないのか、まるで仇に巡り会ったような形相です。
あたしが不思議そうに、つぶらな瞳で見詰めていると
「なに見てやがんだ!おらぁ!」
あららら、しまった! 絡まれちゃいました。
「だいたいオメェは普段から気味の悪いヤローだと思ってたんだ。おかしな顔しあがって!鼻と口は一つなのに、目玉ぁ二つもぶら下げてんじゃねぇっ!」
これが大先輩ですから、困ったもんです。
「えへへ。だいぶご機嫌なようで。お邪魔なようですから、ちょいと湯へ行ってまいります。ご存分にお楽しみください」
そう言って逃げようとすると
「何、湯だぁ! ちょっと待て、俺も行く!」
「へっ?」
「オメェ、一人だけいい思いをしようたってそうはいかにぇぇ。このヤロー、カゲで甘い汁吸おうってのか!ベラボウめっ」
「うっ、イタタっ、手、手を離してください」
「ん?、何、手ぇ? 俺ぁあ、そんなもんつかんじゃねぇぜ」
「イタタタっ、つかんでますよ。すんごい力で」
「ぁ、何、これか? これはテじゃなくてウデ。
手ってぇのはなぁ、指先から手首までの総称。手首より上は一般的には“腕”という立派な呼称があるんでぇっ! そんなことも知らねぇのか!」
「すみませんすみません! あっ、あの、その腕を離してください」
「んふふ、いくら出す」
「えっ」
「いくら出すって聞いてんだよ!」
「な、なんで?」
「ふん。なんにも分かっちゃいねぇなぁ、おめぇは。たった今、大先輩から手と腕の違いを教わったろう。人様にものぉ教わっといて、タダって訳にゃぁいかねえだろ。大人の世界ってのはな。ナっ!」
「イタタイタタイタタっ! 分かりました分かりました。分かりましたから、その手を離してください! イタタイタタ! 払います払います。千円払います! どうか勘弁してください。エーン」
とうとう泣き出しちゃった。
そんなわけで、あたしはいやいや大先輩と一緒におフロへ。
第一滝本館に限らずこの辺りの温泉施設は、増改築を繰り返しておりまして、管内はちょっとした迷路のようでございまして、一直線に大浴場にはたどり着けない作りとなっております。
案の定、酔っぱらいの大先輩は
「おめぇ、いつまで歩かせる気だ。俺を殺そうってのか!」
また、からみ始めました。はぁ…。
「もう少しですから、そこのエスカレーターに乗って左に曲がって、エレベーターに乗って降りたらすぐを右へ曲がって今度は下りのエスカレーターに乗って、降りたら左の階段を上って右へ行って左へ行ってまた右へ行き…」
「うるせぇ! ごちゃごちゃ言ってねぇで、大浴場を呼んでこい! 俺ぁ一歩も動かねぇぞ!」
「んな、無茶なこと言わないでくださいよ。そんなの呼んでも来てくれるわけないでしょう」
「やってもみねぇで分かるかよ! いいから呼んでみろ!」
「………」
「呼んでみろって言ってんだよ!」
「ひぃ〜ん、大浴場さ〜ん」
「もっと大きな声で」
「だ、だ、ダイヨクジョウさ〜ん!」
通りすがりの宿泊客が、一様に白い目を向けてます。
「もう一回」
「勘弁してくださいよ。恥ずかしい」
「いいんだ、旅の恥はかき捨て、ベッドインの服は脱ぎ捨て、使い捨てカメラは使い捨てだ」
何を言ってるのか分かりません。
そうこうしているうちに、ようやく大浴場到着。
着いてよかった大浴場、開いててよかったセブンイレブンです。
ところで、ず〜と気になっていたんです。
宿泊客のこと。
日本語の会話が聞こえてこないんです。唯一聞こえるのは先輩のダミ声だけ。
いつのころからか、アジアの国々の旅行者が増え、中でも中国、韓国、台湾の方が多いようです。彼らはだいたいが大声で話し、日本人からすると品格と節度に欠けているようにも見えます。当の日本人は、その迫力に押されて小声でひそひそ話、ってのも情けないとは思うんですが…。
大浴場にもいました、いました。
外見では見分けがつかないから、どこの国か判りませんが、おそらくは中国語。
「ニーハオシェンシェイサイチェンチーポンロン」
そんな声がビンビン響いております。
正直、うるさいです。やっぱり迷惑です。できれば浴場を別々にしてほしいです。
あたしがそう思っていると、先輩も思ったらしく、いきなり大声をあげました。
「センカク、ニッポン!!!!」
一瞬、大浴場に静寂が戻りました。
よりによってなんてことを言うんだ、バカ先輩が。とあたしはオロオロ。
中国人を怒らせて国交問題にまで発展したらどうすんだよ!
しばしの静寂のあと、何事もなかったようにまた中国語が聞こえだしました。
ほっ…。
あたしたちが湯船に漬かっていると、一人のご老人が先輩の方へ来て、何も言わずに先輩の肩をポンと叩いて上がっていかれました。
あたしには、そのご老人が先輩の勇気ある行動を、褒めてくださったように思えました。
「無礼者の中国人に対してよく言ってくれた、ありがとう」
そう言ってくれたように思えてなりませんでした。
ただの酔っぱらい、されど酔っぱらい。
先輩のお馬鹿な行動が、浴場にいた少数の日本人の胸に、大和魂を呼び戻したのかもしれません。
あたしは感動で胸が熱くなりました。
そして、お酒が大好きで、酔っぱらって騒動を起こしてばかりいる、
このバカ先輩に、
「やっぱり付いていこう」。
そう思えた瞬間でもありました。
P.S 始めたばかりのこのブログの読者になっていただいた皆さんに心から感謝を申し上げます。もっともっと面白いことが書けるよう、日々精進してまいります。本当にありがとうございました。お願いだからやめないでね。