鍵、忘れました。
いいから早く開けてください。
事務所の鍵忘れちまったんすよ。
1時間も前からクソ寒い中で鼻水凍らせて待ってたんです。
手もすっかりかじかんで、思うように動かないんだからさ。
なに笑ってんだよ。この野郎。下手(したて)に出てたらいい気になって。
どうしてもやらなきゃならない仕事、押し付けたのは上司のあんたでしょ。
だから、わざわざ早出したんじゃねぇか。
道ばたの水溜まりにゃぁ、もう氷が張ってんだぞ。
今季一番の寒さだってよ。
さっき、車のラジオで言ってったわ。
そんな寒波の中で1時間も突っ立ってたんだよ。
ヒョーテンカだよ、氷点下。
わしらの家はカカァ殿下。
どちらも震えが止まりません。
なんちゃって。
バカなこといってる場合か!
はぁ、ホントにガタガタガタガタ震えが止まんねぇよ。
それなのに、なに嬉しそうな顔してんのよ。
あたしが困ってるのが、そんなに楽しいか。
なんだよ、楽しいって…。
嫌なやつだねぇ、優しさのかけらもないね。
そういう態度だから、若いもんがついてこないんだよ。
「部下は上司を選べません」
ポスター作って事務所中に張ってやろうか。
なんだよ、お前がついてきてるからいいって。
……。
ばかやろう…。
嬉しいこと言いやがって…。
へへへ、照れるじゃねぇか。
おじさんをからかうんじゃないよ。
うふふ。
なにっ? 寒いから心温まる話をした?
くだらないこといってんじゃねぇよ。ったく。
あはははって、面白くないわい! 笑うんじゃないっつーの。
いいから、さっさと鍵を開けとくれ。
……。
んもう、なにやってんのよ。
いろんな鍵をジャラジャラジャラジャラ。
それ全部使う鍵かい? っとに…。
どこの鍵だよ。
これが家の鍵でこっちがロッカーの鍵、
んでもってそっちは貸金庫の鍵。
それ貸してくれ。
ははは、…やっぱりダメ?
で、事務所の鍵はどれなのよ。
すぐに分るように、なんかシルシくらいつけとけよ。
赤いテープを貼るとかさぁ。
……。
あった? それ、それが事務所の鍵かい?
やったね、さすが上司。だてに長く働いてないね。
やるときゃやりますって、いいよ。胸張らなくて。
さっさと開けようよ。俺死んじゃうよ。
今季凍死第1号になっちゃうでしょ。
早く事務所入って暖房入れてよ。はぁ…。
えっ、ナニ? 開いてた? どーゆーこと?
昨日、鍵を閉め忘れて帰ったぁ?
このばかたれ!
開いてたの……、鍵……。
もっと早く教えてくれよう!
あたしの味わった地獄の1時間、どうしてくれんのっ! もう!
…………。
あたしのへっぽこ上司との朝のやりとりです。
あたしもあたしで、まさか開いてるとは思いもせず、
ドアにさわることもしませんでした。
いつも一番に出勤して事務所を開けている上司は、
キーホルダーにジャラジャラと鍵を10個以上ぶらさげ、
事務所の鍵を探すのにも、ひと苦労する始末。
挙げ句の果てには、鍵を掛け忘れていたんです。
鍵を忘れるヤツと、鍵を閉めないヤツ。
どっちがオッチョコチョイかなんて、議論は不毛です。
この会社大丈夫でしょうか。
ったく。不用心だね。