kunbeのあれこれ雑記帳

日々の暮らしの中で感じたこと思ったことを、わかりやすく、おもしろく、それなりに伝えようと思います。

あっという間の秋を想う

いやぁ、あたしの周りはすっかり冬になっちまいましたね。

幸い今朝は雨降りで、比較的暖かくまだ過ごしやすいですけど。

 

それにしても今年の秋は短かったなぁ。

夏の調子も今ひとつだったけど、9月に入ったとたんに気温がガタ落ち。

もう秋なのね。と思っていたら10月下旬に初雪だよ。

タイヤ換えるわストーブつけるわ下着も長袖に代えるわ股引はくわで

大慌てでやんした。

わずか一月半。なんのあいさつもなしに秋はどっかへ行っちまいました。

もうちょっとだけ秋の情緒を楽しみたかったな。

木の葉が色づいたりハラハラ舞い落ちたり、秋は何かとロマンチックでしょ。

野暮なおやじもイッパシの詩人のような気分に浸って、

しみじみと人生を想う長い夜を過ごしたかった。って、

今更ながら思う今日この頃なんです。

ま、しみじみと人生を思っていたら

なんて無駄に情けないことばかりやっているんだろうと

気分が落ち込んで死にたくなっていたでしょうから、

さっさと通り過ぎてくれてよかったんでしょうけど…。

そう考えれば秋はあたしの命の恩人だね。ありがとさん。

 

さて、本日の本題。

晩秋を詠んだ短歌で、あたしのお気に入りがあります。 

 

行く秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲

(ゆくあき やまとくに やくしじ とううえなる ひとひらくも)

                                 佐佐木 信綱

どうです。響きが美しいでしょ。

そう思いませんか?

恥ずかしがらずに思い切り声に出して詠んでみてください。

 

きゃはは〜。ホントにやってくれたぁっ?

………。

コホン。そんな奇特な方いるはずありませんやね…。

 

「行く秋の」は漠然とした遠景。

イメージ的には高い空から日本国土を見下ろしているような気分で。

「大和の国の」でちょいとズームイン。京都や奈良あたりに近づいていきます。

続く「薬師寺の」で対象へぐぐぐぐっと近づき、

読み手は「はは〜ん、修学旅行で行った奈良県薬師寺ね」と具体的に認識します。

(北海道在住者のほとんどは高校の修学旅行で京都・奈良へ行きます。最近は海外組も増えているとか。うらやましいにゃ…)

で、「塔の」でいったん着地。

そして最後に塔を見上げて「一ひらの雲」に思い切りパンアップ。

視線が再び急激に上を向きます。

くっ、首が痛いわ。

そこには過ぎ去ろうとしている秋の天高く澄んだ鮮やかな青空が、

一片の白い雲を従えてどこまでもどこまでも広がっている……。

 対象にズームしていくリズミカルな響きと

最後にイメージされる青空と白い雲のコントラスト。

鮮やかですねぇ。

有名な短歌ですからご存知の方も多いと思いますが、

実にダイナミックな構成の歌でありんす。

作者は意図して詠んだのでしょうか。

だとしたらホントすごい。

 

国学者歌人だった佐佐木弘綱さんの長男として生を受けた信綱さんは、

国文学者にして歌人。和歌の研究者でもあったそうな。

ですから、この斬新な手法もお手のもの。

研究成果を披露したってことかもしれません。

つまり意図的に詠んだってことですね。

あたしなんかとは頭の出来が違うんですわ。当たり前ですけど。

これが今から100年と少し前の

1912年(大正元年)の作というからますます驚きです。

今では当たり前の撮影技法かもしれませんが、

当時はテレビなんてありませんし、映画も…。

あれ、映画はあったみたいね。活動写真が日本に入ってきたのは明治の中頃。

ひょっとしたらそんな構成の活動写真をヒントに詠まれたのかもしれません。

ま、そんなこたぁわかりゃしませんが…。

お気づきのように、この短歌は「の」を6回も繰り返します。

この「の」が実に効果的なんです。

畳み掛けるようなリズムがたまりませんでしょ。

ね。ね。ね。そうでしょ。

だからあたしは大好きなんです。

 

さらに短歌界の貴公子・信綱さんには、

その凄さを裏付けするような伝説があります(どうやら事実みたい)。それがこちら。

 

 障子からのぞいて見ればちらちらと雪のふる日に鴬がなく

(しょうじから のぞいてみれば ちらちらと ゆきのふるひに うぐいすがなく)

信綱さん5歳の時の作と言われている短歌です。

 

まじっすか! すっげぇっ! って思いません? 

5歳で漢字が書ける! しかも5種類も! さらにウグイスだよ!

何画あるのこの漢字。10画以上あるからあたしにゃ数えられないわ。

ホントすごいね。感心感心。

とくに「鶯」。

あたしゃこの年になっても書けやしません。

 

えっ、驚くのはそこじゃない?

えへへ、さいでした。さいでした。

 

「ガラス障子越しに外をのぞいて見ると、ちらちらと雪が舞っている。おりから鶯の鳴

 く声が聞こえてくる」というような意味らしいです。

 

わずか5歳で5種類の漢字を自在に操った信綱少年は(まだ漢字にこだわってますが)

大きくなって名句の誉れ高い前出の「行く秋の」で

6回も〝の〟を繰り返すという離れ業と

対象を効果的に捉えて視覚化させるというドラマティックな手法で

新たな短歌の世界を見事に切り開いて見せたのでした。

さすがは近代短歌界のサラブレッド。

いつかは何かやらかすと思ってたけど、ぶったまげたわぁ!と、

当時も斬新さとダイナミックさで大評判だったらしいです。

 

あたしの場合、短歌や俳句や詩などの好き嫌いは、

もっぱら音の響きが心地よいかどうかが最大の分岐点です。

意味はそのあと。

気に入った響きを見つけたら、こそこそと本やネットで必死に調べて

知ったかぶりしちゃいます。

イヤな野郎だね。けけけ。

ですから、百人一首にある和歌の中でも

 

これやこの 知るも知らぬも わかれては

           行くも帰るも 逢坂の関 

                                   蝉丸

響きが気に入っている歌の一つです。

さぁ! もう一度声に出して詠んでみてください。

えっ、もういい? にゃはは。

 

意味はたいしたこたぁありません。(蝉丸さん、蝉丸ファンの皆さんごめんちゃい)

花の都・京都に出入りするための関所はいっつも混んでるなぁって感じの歌です。

ところが「これやこのぉ〜知るも知らぬも」とくると

この響きだけで面白そうって気になりませんか?

「わかれては」に続いて「行くも帰るも」ときちゃうともういけません。

取るものも取り敢えずナニナニどしたのどしたのって、

先を争って前に出ちゃいたい気分になります。

…………。

なりませんかね……。

 

これは対句の技法が巧妙に効いているからなんですって。

対句というのは反対の意味の言葉を並べるってことらしいです。

知ると知らない、行くと帰る、別れと出逢い。

都々逸などに見られる戯歌(ざれうた)のようですが、

蝉丸さんのような偉大な歌人がこの3つを組み合わせると

軽快な響きの中に人の世の無情さがにじみ出ちゃうという、

すんごい仕掛けの歌になるんです。さすがでやんすね。

 

ただ、色恋模様や風景情景といった風流風雅が詠まれているものが多い

百人一首の中では、ちょっと番外的な歌ではあります。

 

知っている人も知らない人も、出て行く人も帰ってくる人も、

別れてはまた逢い、逢ってはまた別れるという逢坂の関。

生きて再び逢うことはないかもしれない人たちが、こんなにいるんだなぁ…。

ここに当時の方々は、仏教的な無常観を見たわけです。

 

やるな蝉丸。

 

残念ながらこの蝉丸さん、詳しいことは分かっていないみたいです。

和歌もあたしはこれしか知りません。

知るも知らぬも知りませんってことね。

 

今昔物語には「宇多天皇の第八皇子・敦実親王の雑色=ぞうしき、雑務をしていた下役人」とあるそうですが、「いくら位が低いからって、蝉丸って名前つけるかよ」ってあたしなんざ、そう思いますがね。

そのほかには、盲目の琵琶法師だったという説もあるとのことです。

うん。こっちの方が〝らしい〟と思いますよね。

いずれにしても謎の歌人、蝉丸さんです。

滋賀県大津市逢坂山には蝉丸さんを祀った神社があるそうです。

さらに福井県越前町には蝉丸の墓と伝えられる石塔もあるそうです。

能や浄瑠璃にもなっているそうですが、

Wikipediaに載っていただけのことしかわかりません。

 

あたしが仕事そっちのけで朝からこんなこと書いてるってことは、

めっちゃヒマだってことです。

完全に余剰人員になっちゃいました。

「全日本余剰人員大会」があったらめでたく優勝するかも。

喜んでいいのかなぁ…。複雑な心境だね。

 

なんか、お気に入りの詩歌を自己流で解釈するのって面白いかも。

落語の「千早振る」みたいに。今度やってみようかな。

さすがに仕事しないとヤバいわ。と思ったら、もうお昼だよ。

完全に午前中は遊んじゃったわ。さ、飯食って仕事仕事。

んじゃね! 

 

また長々と書いてしまいました。

読んでくださった方々、心よりお礼申し上げます。合掌。