kunbeのあれこれ雑記帳

日々の暮らしの中で感じたこと思ったことを、わかりやすく、おもしろく、それなりに伝えようと思います。

しあわせは いつも じぶんのこころが きめる

皆様お久しぶりぶりでやんす。お元気でしたか? 

なんだかんだとあわただしく、大好きなブログ更新もすっかり滞ってしまいました。

 

唐突ですが、

 

しあわせは いつも じぶんの こころが きめる

 

いい言葉ですねぇ。

とても有名な詩人で書家の相田みつをさんのお言葉です。

この方には、あたしは何度もなぐさめられ、勇気づけられてきました。

 

今回も勇気と元気がいただけるでしょうか。もう若くないしなぁ……。

不安ばかりが先立ちます。

 

実はあたし、2017年3月13日に入院するんです。

 

若い頃の病気が原因で。

 

あたしの体には、両方の大腿骨頭部に人工骨頭というものが入っておりまして、

その右足側が壊れちまいました。ある夕方突然に。

職場の席に戻ろうとした時に、ガクッときて同時にグギッときました。

右の股関節に5階建てのマンションの屋上から落っこちたときのような激痛が走り、

思わず声を上げてしまいました。「うぎゃっ!」。

正直にいうと、5階建てのマンションの屋上から落ちたことがないので、

正確な衝撃はわかりませんが、多分それくらいはあるはずです。

 

はいはい、どうせ大袈裟ですよーだ。

 

こいつは22年間、苦楽を共にしたパートナーです。

すぐに治るかと思っていたんですが、

椅子に座ってからも股関節が勝手に動くような激痛に責められまくります。

パソコンに向かうのが仕事ですから、どうしても体は前のめりになりがち。

顔を画面に近づけると股関節がゴキゴキ。

ヤバいと思って背もたれに体を預けると股関節がポコポコ。

ん? ポコポコ…?

ホントだって、股関節がポコポコするんだって。勝手に動くんだって!

 

そのたびにちょっと痛くて、すっごく怖いんです。

恐怖映画を観ているような気分です。次の瞬間刺し殺されるんじゃないかっていう

あの恐怖感。それと同じ。

また激痛に身舞われるんじゃないかと思えちゃって。あたしはビビリですから。

 

そんな恐怖にさいなまされながらも、どうにか仕事をこなし(エライでしょ)

帰宅することになりましたが、右足に体重をかけると激痛で歩けません。

見かねた職場の連中が肩を貸してくれたのですが、一人の支えでは無理でした。

結局二人の若者に支えられて引きずられるように移動。

マイカーまでたどり着き、激痛をこらえながら運転して自宅に到着しました。

自宅までの短い移動はケンケンで乗り切り、先に帰っていたカミさんに報告。

「今すぐ病院へ行ったら」「明日にはよくなってるって」

そんな会話をしながらもカミさんはスマホで検索。

夜の7時を過ぎていましたので、街場の病院の診療時間も終わっており

夜間救急は内科と小児科だけ。

いずれにせよ明日まで待たなければならないことが判明しました。

 

翌日、会社に連絡をして病院で診察を受ける頃にはあたしも

骨頭が壊れたことを認めざるを得ない状態でした。

昨日よりも痛い。今の方が断然痛い。泣きたくなりました。

レントゲン写真を見ると一目瞭然でした。

あたしの右大腿骨頭はすっかりいびつに曲がり、

世の中を右斜め37度からひねた視線でにらんでいるような状態です。

あれっ、あたしと同じだわ。そんなことはどうでもいいですが…。

 

「痛いですよね」。わっかい医者がポツリ。

「松葉杖は借りられますか」

「もちろんです。それからここで手術するよりは、札幌の病院の方がいいと思います」

「札幌ですか」

「ええ、専門のお医者さんがいるので」

そんなわけで、手術は札幌の病院で行います。

 

松葉杖を使えるようになってからは、少し楽になりました。

それまでは棒っ切れを杖代わりに歩いていましたから。

古い映画だけど「復活の日」のポスターみたいな。

 

http://livedoor.blogimg.jp/toei23/imgs/c/7/c764199e.jpg

 

 

 

左足の方とは、もうちょい古い付き合いで、27年間も一緒に人生を歩んでおります。

そいつはまだピンピンしてますが、右側が壊れて以来、相当の負担をかけております。

何をするんでも左足で体を支えなければなりませんから。

それなのに文句もいわず頑張ってくれています。

けなげなヤツじゃ、よしよしよしよし。

寝る前には毎日さすって慰めていますが、

だんだん機嫌が悪くなってきているような気配が。

「また立つんかいっ! ウンコもオシッコも1回ですませや!」

そんなふうに言っている気がするんです。

「ごめんな、お前にばかり負担をかけて。右が治ったらゆっくり休ませてやるからな」

そんなウソを言って、ごまかしておりますが…。

こいつまで壊れちゃったら会社にいられないくらい入院しなきゃならなくなります。

腫れ物に触るようになだめすかして働いてもらうしかありません。

 

それとカミさんにもメッチャ面倒をかけちゃってます。

けなげにいろいろと支えてくれていますが、

夜9時30分を過ぎたら起きていられない呪いが、

最近は夜8時30分を過ぎたら爆睡する呪いに格上げされてしまいました。

それだけ疲れがたまってしまったんですね。

 

あたしは身の回りのことの大半ができなくなっちまいました。

まず、靴下がはけない。パンツもズボンもギャーギャー言わなけりゃはけない。

階段は無理して一度上ったらそれきり下りてはこられない。

1カ月もすれば朽ち果てたミイラになって2階でひっそり死んでいます。

だからじぇったい2階には上がりましぇん。

ベッドで使っていた一式を下ろしてもらって

居間のソファをベッド代わりにする生活です。

お風呂も一人で入れない。ついには車の運転もできなくなってしまい、

毎日カミさんと一緒に出社。カミさんの帰宅に合わせてあたしも

仕事をやめて帰るという生活です。

なにもかもカミさんがいないとできないの。ホントになっさけない。

 

まぁ、そう考えるとさっさと入院しちゃった方が

左足とカミさんのためになるということで異論はないわけで、

腹をくくるしかないとは思っていますが、

今度はプリンとハナに会えなくなるのがツラい。

カミさんは2階のベッドで寝て、あたしは居間のソファで寝る生活が続いていますが、

プリンもハナも、どうしていいのか迷うことがあります。

しばらくあたしのソファの上にいて、それから2階へ上がったり、

朝まで一緒にいたこともありました。

なにか気配というか事情を感じているんですね。

すごく寂しそうな目であたしを見ていることがあります。

 

少なくとも1カ月は離ればなれになるのかと思うと我が身の不幸を嘆き、

自身の運命を呪いたくもなります。

彼女たちをなでなでしながら目頭が熱くなることもしばしば。

年寄りは涙もろくていけませんですね。

 

でも、優しいカミさんや可愛いプリンやハナたちがいるおかげで、

別れを嘆き再会を喜び合えるのも事実。

これはこれで幸せなんだなぁ、と思う今日この頃でありんす。

 

なにをどうしようとも、いつかは肉体は滅び命の炎は消えてしまいます。

だからこそ、人生っておもしろいものなのかもしれません。

 

今一度肝に銘じておきましょう。

 

しあわせは いつも じぶんのこころが きめる

 

頑張って手術を受けてきます。

 

長々とつまらないことを書き散らかしました。

最後までお読みくださいました皆様に熱く厚く、心からお礼申し上げます。

しばらく更新できないかもしれませんが、そのうち必ず戻って参ります。

イヤがらないでね。

では、また。