kunbeのあれこれ雑記帳

日々の暮らしの中で感じたこと思ったことを、わかりやすく、おもしろく、それなりに伝えようと思います。

願わくば花の頃にて春死なん…

すっかりサボリ癖がついちまって、年に一度更新するかしないかという頻度にまで落ちぶれちまいました。

あっ! もともと落ちぶれてたんだから気にしなくたっていいんだわ。ケケケ。

 

おかげさまで北海道胆振東部地震の影響も収束です。あたしんちは、抜き打ちで襲ってきた度重なる揺れのために、いろんなところの壁や天井のクロスがはがれかけて、一気に貧乏くさい家になっちゃいました。トホホのホ。

あっ! もともと貧乏なんだから特別貧乏臭がきつくなったわけじゃないんだったわ。ケケケ……相変わらずくどいよね……クスン…。

 

当然ですが、業者はみんな安平町や厚真町などの最大被災地域の修復作業が最優先。

はした金で修繕をお願いする、小市民になんかにゃ目もくれません。

少しくらい自分でやればいいのですが、生まれつきの無精者。おまけに不器用、不細工ときてますから、ヘタに手を付けると取り返しのつかないことになっちゃいそうで、春までじっとがまんのよしこちゃんです。あ〜見積りくらい早くしてくれないかなぁ…。

 

あ、そうそう、大切なことを忘れていました。

皆様明けましておめでとうございます

もうじき4月になろうって時にこんなことやってるから、いつまでたってもダメ人間なのね。ったく。親の顔が見たいわ。

 

といっても、 もう遺影でしか見られないのよね。あたしの親の顔…。

 

昨年の5月下旬に母が天に召されました。83歳でした。

もうじき1年が経とうとしています。

一昨年の秋「ガン」が見つかりました。「胆管がん」でした。

年齢的に外科的手術が無理な場所であったことに加え、抗がん剤は副作用ががきつすぎると2回で断念。札幌へ行けば受けられるはずの放射線治療も母は拒否。ただ静かに死を待つという選択をしたのでした。

当初は自宅で過ごしていましたが、食べると吐くの繰り返しで、みるみる弱っていくのがわかりました。日中預けていた2匹のワンコも自宅で留守番をさせ、少しだけ負担を減らしたのですが、体調が急変して救急車を呼んだのが4度。昨年の年明けから入退院を繰り返し、ご近所を騒然とさせてしまいました。

結局、病院で24時間見守っていただく以外、母が生きられる方法は見当たらず、入院して点滴で栄養を取れるようになってからは、ほんの少し元気を取り戻しました。

一報を聞いた妹がイギリスから帰国し、健気に付き添ってくれ、道内に住む叔父や叔母も入れ替わり立ち替わり世話をしてくれました。そしてカミさんも献身的に看病してくれました。

あたしの孫(母のひ孫)が見舞いに来てくれた時は、一体どこが悪いんですか? とツッコミを入れたくなるくらい元気いっぱいでした。

あたしは仕事が終わったら毎日顔を出しました。背中をさすったり、お茶を入れたり、ほんの短い時間でしたが会話も普通にでき、トイレにも行けたので、週末だけ自宅へ帰ることにました。

看護師さんが「それはいいですね。ぜひ、そうしてあげてください」と協力してくれ、土曜日の点滴を少し早めに終えられるように工夫し、日曜日の午後から再開すれば大丈夫なようにしてくれました。母の家には妹が付き添ってくれたので、夜中に病状が急変しても万全でした。そのときの母のうれしそうな顔は忘れられません。

5月も半ばを過ぎた頃、桜が好きだった母に桜の花を見せたいと突然思い出し、少し遠回りして川沿いの桜並木をゆっくりと車で走りました。桜はすっかり散って数えるほどしか残っていませんでした。

「来年はもっと早く見に来ような」。「そうだねぇ…」。ポツリと母が答えました。

その横顔が寂しくて、あたしは、どうしてもっと盛りの頃にここを通らなかったのかと悔しさで胸がいっぱいでした。景色が滲んでいきます。大馬鹿野郎大馬鹿野郎! 心の中で何度も何度も叫びました。あたしの思いは届かず、結局それが最後の帰宅となってしまいした。

その日を境に病状は一気に悪化し、病院に戻って間もなく意識を失いました。

あたしには眠っているようにしか見えませんでした。でも、呼びかけに応えることはありません。

最後の入院から2ヶ月弱。ガンで闘病して半年の5月24日午後3時、あたしや妹やカミさんに見守られながら、静かに息を引き取りました。

 

母の治療については、あたしには後悔しかありません。たしかに高齢者でしたから、あとどれくらいの寿命だったのかはわかりませんが、放射線治療を受けさせていたら、もっと長生きできたのでは…と、それが今でも悔やまれます。

もっといろいろしてあげたかった。してあげられたはず…。

毎日のように母を思い出してしまいます。

あたしももう初老のお年頃ですから、母親が死んだくらいで愚痴をこぼすのはみっともないとわかっていますが、苦労をかけた分、もっと生きてほしかった。

次第に冷たくなっていく母の手を握りながら、母さん母さんと叫び続けていたあの日、あたしは小学生に戻っていたような気がします。

母は偉大です。痛感しています。

 

突然戻ってきて古い話を長々書いてすいません……。

 

そんなこんなで、一昨年の秋から忙しい毎日を過ごしていました。

こぢんまりと身内だけで葬儀を行い、初盆も無事に済ませて、そろそろ遺品整理と片付けも始めなきゃね。なんてのんきに構えていたら昨年9月に大地震も襲来。

飾り棚のガラスが割れ食器が砕け散り、まさにてんやわんや。悲惨なことになっちゃいました。

何から手をつければいいのか、母の家でただ呆然とするばかり。結局業者に依頼して片付けてもらいましたが、しめて20数万円。

母が残してくれた莫大な遺産がなかったら、きっと今も片付いていなかったことでしょう。お母さんありがとう。

…と言えるほど現実は甘かあないやね。ますます貧乏になっちゃいました。ギャハハハ。もう笑うしかないわ。

 

最後に、あたしの大好きな短歌です。

 

願わくば 花の頃にて春死なん その如月の望月の頃   西行法師