kunbeのあれこれ雑記帳

日々の暮らしの中で感じたこと思ったことを、わかりやすく、おもしろく、それなりに伝えようと思います。

ペットの死

2人の兄と年の離れた恥じかきっ子の末っ子が小学校に上がる時、

両親が共稼ぎで日中一人きりになるのは寂しかろうと、

ミニチュアダックスを飼いました。

 

あたしの家庭がまだしっかりしていた頃の話です。

 

メスで名前はモモ。

お転婆で食い意地が張って、落ち着きがなく、

あっちへ行っては柱をかじり、

こっちへ来てはこれ見よがしにオシッコをする。

わがままし放題の犬でした。

でも、その愛くるしさからすべて許されてしまうという

人間では有り得ない存在でもありました。

早いもので15年。

あたしの親父が死んでからは、

お袋ん家の居候になり、離れて暮らしてかれこれ10年。

とはいっても、あたしん家と両親の家とは隣同士なもんですから、

毎日のように顔を合わせてたんですがね…。

 

そのモモが乳がんに冒され、

闘病の甲斐なく実にあっさり死んでしまいました。

泣きました。

見苦しいほど泣きました。

死んだ時はまだ温かくて、

ひょっとしたら生き返るんじゃないかって、

ヨメとお袋と話しては、しばらくながめ、

やっぱ、本当に逝っちまったんだって3人で泣きじゃくりました。

 

4月5日、日曜日の午後5時でした。

 

モモの写真は小さかった頃から、

ことあるごとに写していたのですが、

アルバムは元ヨメがすべて持って出てしまったので、

気がつけばお袋の携帯電話にある写真1枚しかありませんでした。

あまりかわいくは撮れていませんでしたが、

その写真を遺影にしてペット霊園に葬ってきました。

長いようで短い15年が

走馬灯のようによみがえるんだろうなと思っていましたが、

実際には悲しすぎて思い出はごちゃごちゃしていて

何だかよくわからない状態でした。

たまたま仕事が立て込んできたこともあり、

考えないようにすることができたように思いますが、

気がつけば溜め息ばかり。

 

死んだ当日も、午前中に病院へ連れていって

手当をしてもらってはいたんですが、

呼吸するのも辛そうで、

見ているだけでも泣けちゃいそうでした。

でも、まさかその日のうちに逝っちまうとは思いませんでした。

病院の先生もなんにも言ってなかったし…。

1週間持つかな。2、3日かな。

「いずれにしても今週が山」

そんなふうに覚悟をしようと3人で決めていたんです。

それがいきなり逝っちまって…。

 

ごめんなモモ、痛かったろう、苦しかったろう。

もっといい治療を受けさせてやればよかったんだよな。

貧乏人でごめんな。

ごめんなごめんな。

 

もっと一緒にいたかったよ。

 

おいらもじきに天国に行くから、そしたらまた逢おうな。

 

………。

 

おいらは地獄行き決定だった…。

もう逢えないのかよ。

エンマさん、何とかしてくれっ!